ぷるんぷるんのミニマムパオ

独り言だと思って聞いて下さい

ブラックスワンに備えよう。

ブラックスワンとは何か?

 


ブラックスワンとは簡単に言ってしまえば、予想すらしていなかったことで、人生を大きく変えてしまうもののことを言う。

 

 

 

ネガティブなブラックスワンの例を挙げれば、震災や病気、事故など予想外の不運に見舞われることが挙げられる。

 


ポジティブなブラックスワンもある。

 


ポジティブなブラックスワンの例としては、たまたま出会った人が生涯の友人になることや、適当に作っていたもの、自分がただなんとなく作っていたものが、世間から高い評価を受けて生活が一気に改善することなどが挙げられる。

 


ブラックスワンというのは、自分が予想すらできていなかったものが人生を大きく変えてしまうことを言う。

 

 

 

当然、ポジティブなブラックスワンが起きるのが1番良い。

 

 

 

ただポジティブなブラックスワンとネガティブなブラックスワン、どちらが起きるかは全く予想できないし、どちらかの確率を上げたくても、上げられるものでもない。

 

 

 

重要なことは、ブラックスワンが起きた時に冷静に対処して、被害を最小限にしたり、チャンスを最大化することだ。

 


ブラックスワンは生きてれば誰にだって起こりうる。

 


ポジティブなものも、ネガティブなものもだ。

 

 

 

ブラックスワンが起こるかもしれないという心の準備だけはしておいて損はないと思う。

自分の理想や夢が叶わないことが確定していたら、何をするか?

今日もいい天気だな。

 


なんか心の中の天気は普通に曇りぐらいなんだが、外の天気の良さを見てると心が晴れてくる気がする。

 


昨日考えた思考実験のようなものを共有できたらいいなと思う。

 


もし自分の理想とか夢がすべて叶わないことが確定しているなら、何をするか?

 


一見ネガティブな質問に思えるかもしれないが、これに対する答えが自分の本当にやりたいことにつながっている気がする。

 


自分だったら、何をするだろうかと昨日色々考えてみたが、かなり面白い回答になったと思う。

 


理想も夢もすべて叶わないとしたら、自分がやることは多分、散歩、数学、ゲームプログラミング、読書、YouTubeの視聴の5つだと思う。

 


ただこの5つも本当にやるかはわからない。

 


数学やゲームプログラミングは成長する過程がすごく楽しいからやっているが、もし成長が見込めずどれだけやってみても自分に何の変化もないとしたらやらないと思う。

 


ブログなんかもそれをやることによって考えが深まるという成長を期待してやっている部分がある。

 


となると、自分がやるのは、散歩と読書とYouTubeの視聴になると思う。

 


あとはアニメをNetflixで見るくらいかな。

 


こう見ていくと自分の今やっていることのほとんどって成長を見込めるからやっていることが多いとわかった。

 


極端な話、成長が見込めないならほとんどのことを僕はやらないと思う。

 


つまり自分はそれをやることで自身に変化があったり成長を見込めるものを選んでやる傾向がある。

 


この成長というのが良い面も悪い面ももっている。

 


まず何をもって成長とするかだ。

 


この基準が外部にある場合、自分は永遠に満足できないまま走り続けることになる。

 


さらに承認を求めている場合、これには終わりがない。

 


別に承認を求めたり、外部の基準、つまりは他人の理想を目標にすることが悪いこととは思わない。

 


人間は社会的な動物で、少なからず他人の理想に答えなきゃいけない場面も出てくるだろうからだ。

 


他人なんて無視でいい、自分のやりたいことだけやっていればいいというのは正直暴論だと思う。

 


自分の生活そのものが、誰かがしてくれた仕事で成り立っている以上、自分も他人の要望に答えなければいけない部分は少なからず出てくると思う。

 


何より人間は一人では生きていけないと思うし。

 


ただ物事はバランスが大切で、他人の期待だけを満たすために生き続けても辛いだけで、これでは何のために生まれてきたのかわからないと思う。

 


ここに外部の基準を自分のやりたいことに結びつける危険がある。

 


外部の基準、他人の理想は無限に基準があるし、すぐに別のものに変化する。

 


仕事と割り切って、それらを基準にしたものに取り組むのはいいが、自分のプライベートでやることにそれを持ち込むのはあまり良い選択とは言えないかもしれない。

 


さらにもう一つ成長の悪い側面は、その根底にあるのが自己否定かもしれないということだ。

 


ただ前の自分とくらべて、変わっていく自分を楽しんでいるだけならいい。

 


しかし、その成長を望む考えの根底にあるのが、今の自分では駄目だという思いなら、それはどれだけ成長しても辛いだけだと思う。

 


なぜなら自己否定の根底にあるのはほとんどの場合、外部の基準で自分を評価していることにあるからだ。

 


外部の基準には終わりがない。

 


どこまでいっても、否定的な意見もある。

 


外部の基準が成長することの基準となっている場合、一生満たされることはないし、その基準は無限に変化するため、基準をクリアすることもないだろう。

 


だから成長を下から上の上昇ととらえるのではなく、前の自分からの変化ととらえるほうがいいと思う。

 


何かに有益になったから成長したと考えるのではなく、違う場所や考えに到達したその変化そのものを成長ととらえる。

 


それができれば、やりたいことの根底にあるのが成長の実感だとしても苦しむことはないと思う。

 


理想や夢が叶わないことが確定しているとしても、その中で生きていくことで起こる変化そのものが自分のやりたいことそのものであると言えれば、僕は楽しみながら生きていけるんじゃないかなと感じた。

 

 

 

アクティブリコールが凄まじい。

アクティブリコールの効果がすさまじい。

 


今まで数学の問題とか解けるようになるのにすごい時間がかかっていたのに、かなり短時間で解けるようになってきた。

 


アクティブリコールって何かというと、超簡単にいってしまえば、「能動的に思い出す」ことだ。

 


歴史とかの勉強で例えるなら、教科書を一度見たあと、何も見ずに内容を紙に書き出してみたり、口で説明してみることをいう。

 


これを何度か繰り返すと、とんでもないくらい頭に知識が残るようになる。

 


アクティブリコールは能動的に思い出すこと、つまり、思い出す作業を伴えばどんな行為もアクティブリコール化する。

 


たとえば、朝バスの移動時間中に、昨日勉強したことを思い出すのも立派なアクティブリコールである。

 


思い出す勉強法は、短期で知識になりやすく、かつその知識が長期間残りやすく、反復学習しやすいので効果がすさまじい。

 


正直、勉強の場所を選ばないうえ、やるまでのハードルも低く、勉強したことが身に付きやすいため、正直また勉強したいと思うことが増えた気がする。

 


こうやって自分が身に着けた学習法を言語化してブログに書いたりすることも、一種のアクティブリコールかもしれない。

 


自分の場合、数学や歴史、簿記の勉強に生かして取り組んでいる。

 


数学は、例題を見て、それを何も見ずに再現することを目標に取り組むのだが、それだけ聞くとすごい時間がかかりそうなイメージだが、実際はかなりの勉強時間の短縮になると感じている。

 


まず、コツとしては、いきなり解答をすべて再現しようとするのではなく、断片的で間違っていてもいいので、一度見て覚えていることを書きなぐって書き出してみる。

 


そうすると当然間違っていたり、あやふやな部分が出てくる。

 


だが、むしろ、そういう自分はここまちがっているなと思って、解答を確認したほうが記憶にめちゃくちゃ残るのである。

 


正直、正解したり、問題なく再現できたものより、すごい恥ずかしいくらい間違えて書き出した部分のほうが、あとで解答を確認したあとに、すごい印象的に覚えられるのである。

 


だから、書いていることが間違ってるかなんて気にせず、むしろ間違えたほうが記憶に残ると思って、どんどん書き出すのがコツである。

 


この解答を見て、何も見ずに記憶を頼りに書き出すという作業を繰り返すととんでもなく知識が頭に入ってくるようになった。

 


正直、今までの見ながら書き出すというのがどれだけ効率が悪いか痛感されていて、すこし後悔すら感じている。

 


正直、勉強の効率が10倍以上違うのだ。

 


実際に数学の例題を見ながら書き出すを10回くらい繰り返した経験がある僕だからわかる。

 


それをやるくらいならアクティブリコールを一回やるほうがはるかにマシな結果になる。

 


もちろんアクティブリコールをしても再度復習することは変わらないが。

 


今回すごい感動したので、一応アクティブリコールについて共有しておこうと思った次第である。

生命、エネルギー、進化という本を読み始めた。

生命とは何か?

 

この問の一つの答えとして「電子が落ち着ける場所を探す活動のこと」と本の序盤で書かれていた。

 

僕はそんな視点で生命について考えたことが一度もなかったので、なるほどなと関心したというよりは、驚きや困惑のほうが大きかった。

 

生命って植物や動物のことじゃないのか?と。

 

またスノーボールアースという単語もこの本で初めて知った。

 

なんでも、光合成ができる生物が生まれると地球が急激に冷えるらしい。

 

光合成でできた酸素がメタンという温室効果ガス?を酸化して取り除いてしまうからだ。

 

そうすることによって地球全体が氷河で覆われてしまう時期のことをスノーボールアースというのだとか。

 

僕は初めて知ったことばかりで、これは何度か読まないと飲み込めないなと思った。

 

また読んで感想があったら、ブログに書いていきたいと思う。

ダラダラ勉強する。

就労支援とか家で心掛けてるのが、勉強に真剣にならないことやな。

 

何を言ってるんだと思うかもしれんけど、物事って真剣に扱うほど、上手くいかなかった時に、自分を責めちゃうような気がするのよ。

 

そして、上手くやろうとすればするほど、勉強がつまらないと感じるようになる。

 

なぜなら、上手くいってるかどうかって外部の基準を参考にするから、結局人との競争になる。

 

一番手っ取り早く不幸になる方法が他人と比べることだからな。

 

だから、俺が心掛けてるのが、ダラダラ勉強すること。

 

上手くいってるかとかどうでもいいねん。

 

純粋に新しいことを知ることを目的に勉強する。

 

効率とかも求めちゃう時あるけど、それは他人と比べてじゃなく、今までの自分と比べて効率がいいか試すゲームみたいな感じや。

 

あえて、書き写すだけのあんまり記憶に残らん勉強をすることもある。

 

なぜなら、書くのが好きだから。

 

勉強した結果、何になれるかに注目するんじゃなく、その物事を知ること自体にある種の喜びを得ている気がする。

 

だから、忘れてもええねん。

 

また、知れる喜びを味わえるから。

 

本とかもあえて記憶に残さないようにすることが多い。

 

そうすると、何度読んでも楽しめる。

 

知ることを楽しめれば、知識に変えれるかどうかはあんまり重要じゃなくなると思う。

 

だから、ダラダラ勉強するのもそんなに悪くないと思う。

ゴロゴロするの楽しい。

家で一日中ゴロゴロしてる。

なんか妄想するのが凄い好きなんだよね。

散歩が好きなのも、歩くことが単純に好きなのもあるけど、妄想できるからかもしれん。

 

何も考えずダラダラするのも楽しいな。

 

今日は、夜友達とテラリアっていうゲームをやるから、それまでアニメ見たりしてダラダラしてよう。

 

今日の昼はなんか妹が厚切り肉をオーブンで2時間くらい焼いて、ほぐしてパンに挟んだサンドイッチみたいのを食ったんだけど、凄い美味しかったンゴね。

 

また食べたいンゴ。

 

 

今日やるべきことに集中する。

過去を悔やんでも、過去は変えられない。

 

未来について思い悩んでも、予想は全く当てにならない。

 

一番確かなことは今日だけなのだ。

 

だから、今日やるべきことに集中して生きていく。

 

誰だって明日の不安が今日にのしかかったら、よろめいてしまう。

 

今日という日から、過去と未来を遮断する必要がある。

 

明日のことは明日自身が思い煩うだろう。