今日もいい天気だな。
なんか心の中の天気は普通に曇りぐらいなんだが、外の天気の良さを見てると心が晴れてくる気がする。
昨日考えた思考実験のようなものを共有できたらいいなと思う。
もし自分の理想とか夢がすべて叶わないことが確定しているなら、何をするか?
一見ネガティブな質問に思えるかもしれないが、これに対する答えが自分の本当にやりたいことにつながっている気がする。
自分だったら、何をするだろうかと昨日色々考えてみたが、かなり面白い回答になったと思う。
理想も夢もすべて叶わないとしたら、自分がやることは多分、散歩、数学、ゲームプログラミング、読書、YouTubeの視聴の5つだと思う。
ただこの5つも本当にやるかはわからない。
数学やゲームプログラミングは成長する過程がすごく楽しいからやっているが、もし成長が見込めずどれだけやってみても自分に何の変化もないとしたらやらないと思う。
ブログなんかもそれをやることによって考えが深まるという成長を期待してやっている部分がある。
となると、自分がやるのは、散歩と読書とYouTubeの視聴になると思う。
あとはアニメをNetflixで見るくらいかな。
こう見ていくと自分の今やっていることのほとんどって成長を見込めるからやっていることが多いとわかった。
極端な話、成長が見込めないならほとんどのことを僕はやらないと思う。
つまり自分はそれをやることで自身に変化があったり成長を見込めるものを選んでやる傾向がある。
この成長というのが良い面も悪い面ももっている。
まず何をもって成長とするかだ。
この基準が外部にある場合、自分は永遠に満足できないまま走り続けることになる。
さらに承認を求めている場合、これには終わりがない。
別に承認を求めたり、外部の基準、つまりは他人の理想を目標にすることが悪いこととは思わない。
人間は社会的な動物で、少なからず他人の理想に答えなきゃいけない場面も出てくるだろうからだ。
他人なんて無視でいい、自分のやりたいことだけやっていればいいというのは正直暴論だと思う。
自分の生活そのものが、誰かがしてくれた仕事で成り立っている以上、自分も他人の要望に答えなければいけない部分は少なからず出てくると思う。
何より人間は一人では生きていけないと思うし。
ただ物事はバランスが大切で、他人の期待だけを満たすために生き続けても辛いだけで、これでは何のために生まれてきたのかわからないと思う。
ここに外部の基準を自分のやりたいことに結びつける危険がある。
外部の基準、他人の理想は無限に基準があるし、すぐに別のものに変化する。
仕事と割り切って、それらを基準にしたものに取り組むのはいいが、自分のプライベートでやることにそれを持ち込むのはあまり良い選択とは言えないかもしれない。
さらにもう一つ成長の悪い側面は、その根底にあるのが自己否定かもしれないということだ。
ただ前の自分とくらべて、変わっていく自分を楽しんでいるだけならいい。
しかし、その成長を望む考えの根底にあるのが、今の自分では駄目だという思いなら、それはどれだけ成長しても辛いだけだと思う。
なぜなら自己否定の根底にあるのはほとんどの場合、外部の基準で自分を評価していることにあるからだ。
外部の基準には終わりがない。
どこまでいっても、否定的な意見もある。
外部の基準が成長することの基準となっている場合、一生満たされることはないし、その基準は無限に変化するため、基準をクリアすることもないだろう。
だから成長を下から上の上昇ととらえるのではなく、前の自分からの変化ととらえるほうがいいと思う。
何かに有益になったから成長したと考えるのではなく、違う場所や考えに到達したその変化そのものを成長ととらえる。
それができれば、やりたいことの根底にあるのが成長の実感だとしても苦しむことはないと思う。
理想や夢が叶わないことが確定しているとしても、その中で生きていくことで起こる変化そのものが自分のやりたいことそのものであると言えれば、僕は楽しみながら生きていけるんじゃないかなと感じた。